紙飛行機

言の葉を折り畳んで

担降りの記録

 

 

 
嵐の松本潤くんからSexyZoneの中島健人くんに担降りしたのが2014年8月。
 
有難いことに担降りに悩む友人たちから担当一筋で降りてからほんとに楽しそうだよねと言ってもらえる機会が多く、でもここまで長かったのよとその経験をテキストとしてまとめておこうと思います。結構前のことで忘れてるところもあるけどお許しください。
悩んだ年月が長かった上にまとめる力がないのでかなり長いです。時間が有り余ってるときにお付き合いください。
 
 

出会い

きっかけは友人の担当が主演で猛プッシュされて見た『スクラップティーチャー〜教室再生〜』です。
なんとなく見ていると不良グループの中にすごく好みの男の子がいて、その日のクレジットですぐに名前を確認しました。美濃部健人役の中島健人くん。最高のイケメンを見つけた!どタイプ!が第一印象。
Jr.事情も応援の仕方もまったく分からなかったにも関わらずドラマ、CDデビュー、バレーボールとお茶の間でも定期的に目にすることができました。でもこの頃は元担とそのグループがメイン、いつものかっこいい子をつまみ食いしてる程度でした。
 
そして私の推しジュ中島健人くんはSexyZoneとしてデビューします。当時高校生のわたしは学校でケータイニュースを見て固まったのを覚えています。Jr.を好きになったのは初めてで、もちろんその子がデビューするなんてことも初めてで戸惑いました。記事を洗いざらい読みジャニウェブに載ってたコメントも読んで事実を確認すると他のメンバー菊池くんしか知らないしまさになんてこったい状態。まだヲタクレベルも低く現場お一人様に抵抗があったわたしは友人や家族を握手会に!行かないか!と誘いますが誰も乗ってくれないので泣く泣く断念。クリスマスをSexyZoneと過ごしませんか?という文面を見て健人くんと過ごしたかった…と切なくなったのを覚えています(気持ち悪い)
ちなみにこの頃はまだTwitterをやっていなかったのでこのヲタクレベルの低さはその辺も関係するのかな。
 
 

転機

大学受験期。
毎週3本のレギュラーを抱えていた嵐様。今じゃ考えられないけどすべてリアタイするのが日常でした。
しかしさすがにこんな毎週レギュラーにドラマに音楽番組に追いかけていたら受験に失敗する、失敗して嵐のせいになるのは嫌だと自分に嵐禁を課すことにしました。
夕飯の時間に見たい番組を1本だけ見ていいとルールを作り少しずつ消化。ツアーにも申し込めなかったので嵐をゆるやかに見ることに成功しました。
その一方で嵐禁の合間に本格的にせくぞを見始めます。ずるずるハマります。QrZoneを漁ってテレビもちゃっかりリアタイしてみたりCDフラゲしたり雑誌買いに走ったり受験期に何してるんだ。この辺りから嵐担ばかりのTLでも気にせず毎日けんとかっこいい♡けんとかわいい♡だったかと思います。ごめんなさい。
センター試験の翌日には休憩と称して郵便局に行きJr.情報局に入会します。私の受験は終わるのがとにかく遅く、目処が立っていなかったため感謝祭*1は諦めました。
 
 
大学生になって自由の身になりついに中島健人くんのためにコンサートに行きます。
2013年GWに横アリで開催されたJapan Tourです。わたしは生で見る中島健人のキラキラ感に完全に鷲掴みにされました。ひと時も目が離せないなんて初めてで終始大好きが止まらなくてこんなに楽しい!楽しい!で埋め尽くされたコンサートがあるんだと感動しました。自分の肌に合ったコンサートを見つけました。帰りの電車の中で早くまた会いたい!とノリと勢いでジャンプのツアー*2に申し込み、帰宅してから毎日毎日少年倶楽部のCANDYのリピが止まらず母親が私の言動の怪しさに気付き始め、まつじゅんを捨てたと騒ぎ始めました。私は単なる浮気心で、じゅんくんは特別だから!と胸を張って言ってました。本気でそう思ってました。健人くんばかりを追いかけてる自分に気付きながらも何度も見ないふりしました。
舞台挨拶、舞台、収録、コンサート、イベントと順調に駒を進めていきます。当然のように時間さえ合えば会いに行ける毎日が楽しくて、楽しいを最優先にしていて自分は誰担なんだと悩むよりも私が楽しければいいじゃん?思考で深く考えず現場に行ってました。気持ち的にも2つ好きなものを抱えていることは逃げ道がある安心感があり私にすごく向いていました。
 
ただ、時間を追うごとにさすがに身の振り方を考えるようになります。
本格的にハマってから気持ちが戻ることがなかったんです。いつか冷めると思ってたのに冷めないんです。まさに転げ落ちるみたいに加速していきました。紅白より大事なカウコン。受験時の嵐禁以降ほぼ見ることがなくなりたまっていくレギュラー番組と毎日繰り返し見てる少クラ。買うだけで読まずに積まれる雑誌。見ることなく棚に入れられるディスク。徐々に松本担を名乗る自分と噛み合わなくなっていってずれていって。それでも嵐担という環境に固執していっぱい自分に言い訳して。この頃からわたしの言う松本担という言葉はただの自己暗示をかける記号で中身がなくなっていったような気がします。嵐に熱を上げられない自分が嫌でした。
このままどちらかに絞る必要はないじゃないかとも思いました。掛け持ちでずっといようと。でも、ふとしたときにこの熱量の差で両方好きと言えるのか分からなくなりました。分からないってのもたぶん言い訳なんだけどすぐ考えるのを放棄しちゃってました。放棄してはまた悩んでの繰り返し。自分の感情がわからないんじゃなくて認めたくないってほうが近いのかな。認めたら私の今までを否定することになりそうだったから。
 
最終的に嵐が好きなのは揺るがない事実だけど、嵐の中にいる潤くんが好きだけど、個人としては健人くんのほうが好きっていう1つの結論に辿り着きます。もしジャニーズが全員集まったときに健人くんのうちわを持ってあなたのファンはここにいるよって主張したい。有限なお金と時間は健人くんに使いたい。
自ユニ嵐の中島担になりたいって言ったりして相当血迷ってた。
 
 健人くんが一番好き、でも嵐を捨てるなんてできない。そしてまた二の足を踏む。大事な決定を先延ばしにする悪い癖がここぞとばかりに出てました。
 
 
唐突に決まったサマコンたまアリはテストがあって行けなさそうだから*3神戸に行くことにしました。現場は関東が当たり前だったわたしの初遠征はせくぞで神戸。次の日が朝からテストだから公演後新幹線でトンボ帰りだけどそれでも行く!と浮かれながら夜行バスに乗り込みます。
 
そして運命の2014年8月5日。神戸ワールド記念ホール

f:id:udud:20150708224805j:plain

 
両部入ったその公演の1部でわたしは人生で初めて作った名前団扇で中島健人くんにファンサを貰いました。頭が真っ白になってその後しばらくの記憶がありません。
2部ではせくぞの体制について風磨くんが言及してくれました。それが自分の中で引っかかってたというのも大きくて、せくせかの時には未来しかないってこんなにも楽しいんだと浮足立ってたのに代々木で一気に壊されて、正直このグループに未来があるのかすら分からなくなってました。もしかしたらこのまま大人の力で潰されるかもしれない。でもここまで来たなら言葉にしてくれるこの5人を信じてみようかなと腹を括りました。
 
2公演存分に楽しんだ帰りの新幹線を待ってるときに「降りたい」と初めて口から滑り落ちました。自分でも驚きました。こんなにうじうじ悩んだのに降りるときは一瞬で、私は次の日、Twitterで担降り宣言をしました。
 
初めて健人くんを発見してからたくさんたくさん見てきて顔が好み以外にも色々な面を知ったのに嫌いになる要素がひとつも見つからなかったんです。歌、ダンス、ソロ曲、仕事の向き合い方、その他すべての要素の中で何かが欠けていたら優柔不断な私は降りるという決断には至らなかったと思います。
 
 降りたときは晴れ晴れしい気持ちでいっぱいでした。解放された。自分にやっと正直になれた。周りの友人からは寂しいと言われたけど私は楽しくて仕方なくて降りてよかったなと思うことはたくさんあるけど後悔は1mmもしてない。
間違いなく今が一番楽しいです。1番好きな人を1番好きと言えることが何よりの幸せ。
降りてからのほうが理想を押し付けることなく元担のことを心から好きだって言えるようになったことも収穫かな。潤くん今までありがとう。
 
 

健人くんの作るてっぺんからの景色を私にも見せてね。

 

 

 

*1:結局受験は終わっていてうちわだけ買いに行った

*2:直前にFC発足式が決まったあれ。急すぎて初ぼっちを経験。

*3:急いで帰れば間に合うと気付き結局1部に入った